コミュニティ・ハウスを始めて9か月が経過しました。
野村医院は、医療とともに、地域に根差した活動をこころがけています。
そのひとつが、平成30年(2018年)6月に発足したコミュニティハウス「リンガーロンガー(LINGER LONGER)」です。明治30年(1897年)に建てられた創設期の旧診療所(通称オールドクリニック)において、毎週火曜日・水曜日・金曜日に地域の人たちに、さまざまな形で利用していただいています(現在、金曜日は不定期になっております)。
コミュニティハウスって何か? ご存じない方は、良かったら下記のブログ記事をご覧ください。私達の目指すことが分かってもらえるかと思います。
発足当初、「どうぞご利用ください」と解放しても、地域の人たちには敷居が高いようでした。何も用事がないのにわざわざ当ハウスに足を踏み入れて、ゆっくり時を過ごすことに不慣れな人が多かったのです。そこで、平成30年(2018年)10月からフットケアを目指した活動も取り入れました(上記お知らせ参照)。
これらの活動を通じて、最近、次第にご利用くださる人たちが増えてきました。
♥そんなある日、この地区である出来事が起こったのです。
Aさんの孤独死
地区の独居高齢者Aさん(70歳代の男性)が、ご自宅で一人で、だれにも看取られることなく亡くなったのです。
新聞受けに二日間の新聞がそのままになっていたので心配した大家さんが、彼の異変に気づいたときは、すでに亡くなっていました。検死が行われ、自然死(心臓疾患などによる病死)と判断されたようです。Aさんは、野村医院に近い民家を借りて、一人で暮らしていらっしゃいました。
山添村にも、独居生活を営む人は多いです。
子供たちが村外に出てしまって戻らず、そのうえ、配偶者もいなくなってしまった人がほとんどですが、中には、Aさんのように民家を借りて移り住んで来た人もあります。
Aさんは、ここに十年以上お住まいでしたが、地区の人達とはほとんど付き合いがありませんでした。だから、どんな仕事をされているのか、どちらのお生まれなのか、お子様がいらっしゃるのか、誰も知りませんでした。
聞くところによると、親戚づきあいしている人はほとんどなく、天涯孤独に近い境遇だということでした。
その結果、私達住民は、この日突然現れた警察と救急隊の車列に驚き、孤独死と聞いて御冥福を祈ることしかできませんでした。野村医院も、警察から要請があれば対応したのですが、知らされることがないままでした。
♥しかし、リンガーロンガーのスタッフには、別の想いがありました。
Aさんとリンガーロンガー
実は、Aさんは、亡くなる二か月前から、リンガーロンガーに毎回のようにお越しくださるようになっていたのです。
村内の独居者に気を配って活動する集落支援員Bさんに誘われて、Aさんが私達のリンガーロンガーに初めて来たのは、今年になってからでした。当初は、居心地の悪そうな感じで、表情が硬くて他の人とも話することが少なかったけれど、2週目、3週目と次第に、穏やかに自らお話をされるようになりました。
当館のコミュニティナース・Nさんによると
当初は、
「自宅にいると、TV見ているだけ。」
「老人ホームに入りたい、、、」
「外出しても、パチンコ屋に行くくらいのもんだ。」といったネガティブな発言が多かったものの、
次第に、
「ここに来たら、楽しい。」
「何か、私に出来ることがあったら、手伝いたいな。」
とまで言ってくださるようになっていました。
Aさんがリンガーロンガーを利用してくださるようになったこと、そして、次第に打ち解けて会話が弾むようになったことを、Nさんをはじめスタッフはとても喜んでいました。
コミュニティハウスを始めた目的は、まさに、地域の人たちに「寛げる場所」「話の出来る場所」「寂しい時に人と遭える場所」「何かを求めたら何か得られそうな場所」を提供することだからです。
孤独死を回避することはできなかったのは残念ですが、親戚づきあいする人がなく引きこもりがちだったAさんが、人生最後の数週間だったけれど、当ハウスを利用することで笑顔を取り戻すことができたのではないかと思います。
私自身はAさんのお顔も知らないままでしたが、彼が亡くなり喪失感さえ覚えているスタッフの仕事ぶりを頼もしく思えます。リンガーロンガーを育ててくれて、ありがとうございます。
独居者の寂しさは、私の理解を越えていることに改めて気づかされました。野村医院は医療だけに終始していられないと、考えを改めつつあります。
これから、リンガーロンガーを基軸にさらに地域の人たちを、しっかりとサポートできるような仕事をしていきます。
◆蛇足になりますが、これは、デイサービスなどの高齢者向けの介入とは明らかに異なるものです。両者の区別は、馴染みのない人には分かりにくいと思いますので、項を改めて説明することにします。