臨床雑感 救急車を呼ぶ医師の気持ち。期待と反省

♦この二年間、お世話になった救急隊員の皆様♠

野村医院を継承して二年と数か月が経過しました。
この間に、一番お世話になったのは誰だろう?
当院のスタッフや、手伝いに来てくださる技士さんや栄養士さん、
それに、一緒にコミュニティーハウス「リンガーロンガー」を手掛けた友達や仲間、
さらに、病気のことで相談できる医療関係の旧友・元同僚や、私の専門外の病気を引き受けて下さる医療機関の方々。
ケアマネージャーさんや、訪問看護や訪問リハの人たち、村役場の健康福祉課の人たち、、、
本当にいろいろな繋がりがあり、改めて、多くの人たちに助けていただいています。
すべての関係者の皆様に御礼を申し上げます。

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そんななかでも今日は、「救急車と救急隊員」に特に感謝を込めてブログを書きます。
開業して、あまり想定していなかった事態の一つが、「診療中に救急要請を要する」という事態です。
つまり、体調が悪いと言って受診された患者さんが、野村医院に来てからさらに重症化して、第二次・三次救急医療に紹介するため、救急車を私が呼ぶという事態のことです。心筋梗塞、脳血管障害、急性腹症などが、その主な原因です。

その頻度は年に数回程度ですが、私は、迷わず「119」番に電話をかけます。
奈良県広域消防組合による救急対応は、誠に整然としていて気持ちが良いくらいです。
野村医院から数百メートルのところに、組合の山添消防署があり、多くの場合はここから、数分以内に救急車が来てくださいます。
時には、救急車が出払っていることもあり、その場合は、宇陀消防署の救急車が駆けつけて下さったこともありました。
往診先から、119救急要請をすることも多いです。その場合も、同様に、迅速に対応してくださいます。

♦救急車を依頼する私の葛藤♠

当初、救急車を呼ぶ時、実は、私なりの葛藤がありました。
診察中に医師である私が救急車を依頼するとき、実は自尊心を封印しなければなりません。
医師一人の田舎の無床診療所であり、大した設備もないから、病状が深刻であれば、一刻も早く高次救急施設に対応を仰がねばなりません。

以前は、私自身がそういう施設に勤めていたから、自分もそれなりの救急対応が出来るという自負心がありましたが、
立場と役割が違うのだから、割り切って、救急隊員にお願いするしかないのです。

また、そうしなければ、野村医院にお越しくださっている他の患者さんを誰が診るのでしょうか。
2年前に開業したばかりの時は、こういうことが割り切れずに、それなりの葛藤がありました。

♦救急車を呼ぶ医師の心得と心境♠

自分で診断したうえで、病状に最も適した医療施設を自分で決めて、紹介先の受諾を得たうえで、救急要請をかけます。
あるいは、患者さん自身やご家族が、最も好む(希望する)医療施設と交渉したうえで、119番コールです。
たとえば、患者さんが天理教の信者さんなら、もちろん天理よろづ相談所を好まれるでしょうし、
以前にトラブルがあったことを知っているような場合は、その病院は鼻っから対象から外します。
週末や、夜間は、なかなか紹介先が決まらずに、困ってしまうことも度々ありました。

119番に電話している時点で、既に紹介状を書き始めているか、完成しています。紹介先の病診連携室に既にFAXを届けているようなこともあります。
救急隊員の方々にとって、「受け入れ病院を探す手間は省ける」「たらい廻しに会わなくてすむ」というメリットもあるはずです。
患者さんにとっては、「主治医と相談してなるべく希望の病院を受診できる」「少しでも早く搬送してもらう」というメリットがあるはずです。
私も、紹介状を書いたから、紹介先からちゃんとした返答を貰えます。

救急隊員には彼らなりのプライドがあります。
私が搬送先まで既に決めていると、彼等は「単なる運び屋」として利用されているのではないかと感じたりしていないだろうかと心配しないわけではありません。
患者さん自身から救急要請があった場合と、医院から要請があった場合では、彼等の気持ちに何か差はないのだろうか?
私が探した病院よりも、この容態なら別の病院の方が良いと心中では思っているかもしれません。
私もそうです。立派な救急隊員たちが診断し応急処置をし、搬送先を決めるから、私など介入しなくても良かったのではないかと、思わないわけではありません。

彼等との話し合いが、開業してから全くないというのが、やはり問題なのかも。
信頼関係で成り立っているわけではないのでしょうね。
自分のDutyを全うすることに全力を挙げる私と救急組織の付き合いでしか、まだないのです。
私の今後の課題です。

♦救急車のサイレンのたびに、住民を気遣った父母の思い出♠

もう一つ、私に葛藤を引き起こす別の経験があります。
それは、開業医の息子ならではの経験です。

亡き父は、80歳を過ぎるまで、野村医院の診療していました(84歳で亡くなりました)。
自分の目の届く範囲は全部自分が診るんだ!みたいな気概がありました。
私が言うのもなんですが、「臨床医の権化」みたいな人でした。
80歳くらいまで、深夜でも電話があれば、患者さん宅に往診に行っていました。

しかし、さすがに、高齢になると、父に診療を求める人も少なくなっていきました。
まだ母も生きている頃のことですが、夜に救急車のサイレンの音がするたびに、「いったい誰だろう、あの人かなぁ」って二人で呟くように心配するのです。
私は、同居するものの、父母の診療所を手伝わずに、三重県の病院に務めていたのですが、あの二人の会話は、私の胸にグサッ!グサッ!と刺さりました。
自分は自分の仕事があるからと素知らぬ顔をして、両親の寂しさみたいなものを、どうしてあげることもできず、傍観しているしかありませんでしたが、今もあの会話は頭から離れたことはありません。

田舎ですので、夜にサイレンがあった翌朝には、誰がどこの病院に運ばれたということが、自然と分かってしまうのが、父母には余計堪えたかもしれません。
「以前なら自分が診に行ったはずだ、何とかしてあげたかったな」、、両親はそう思っていたことでしょう。
自分たちが高齢になって、求められていないという寂しさ、あるいは、サイレンを聞けばそれでも不思議と湧き上がる医師としての使命感、、、そんなものが交錯していたはずです。

****

開業したら、どれくらい救急要請があるだろうか?
ずっと不安と期待がありました。
実際に、継承開業してみると、とても少ないです。
自分が出かける回数は、夜中に聞こえてくる救急車のサイレンの回数の1割もあるでしょうか?
サイレンの音を聞かない日はほとんどないのに、私が自分の患者さんのことで夜中に呼ばれることは、月に数回です。
この地域の救急医療に果たす役割は、私などと比べようなないくらい、彼等は貢献しています。

それに、患者さん家族はとても、私に気遣って下さっています。
ずっと訪問診療していた患者さんが夜中の3時に息を引き取っても、私には、午前6時になるまで電話をかけて来ない、そんなご家族もあるのです。
私の午前の外来に支障をきたさず、私の睡眠時間も減らないように、配慮してくださるのです。
「田舎ならではの優しい洗練された付き合い方」なのです。
痛いほど、それを感じており、頼りにされているというより気遣われている自分の存在が、辛いくらいです。
こんな優しい人々の生活の中に私もあるのだと気づき、故郷に戻って開業して良かったと、涙が出る想いです。

私には父のような強い気概はありませんが、父母と同様に、自分が診ている患者さんが、知らないうちに救急車を要請していたら、そりゃ、もちろん残念な気持ちにもなります。
自分が留守をしていて、対応できず、救急要請をしてもらうことになった場合も、大変残念です。
しかし、自分の役割と救急隊の役割分担をわきまえるべきです。自分にできないことがあると割り切らないといけませんし、私が間に入らなくても、この奈良県北東部の救急医療体制は、今日では、驚くほど整備されています。
父母たちが活躍した時代とは、システムもまるで異なっているのです。

自分が出来ることなら、そして、往診の依頼があれば、もちろん断ることなく喜んで応需しています。
しかし、救急車のサイレンが聞こえるたびに父母が交わしたあの会話が、色々な意味で、今の私の心の糧になっていることを、ここで吐露させてください。

♦さいごに♠

今日はここまでです。
なにやら、結論もないまま、訳の分からないことをうだうだ書いてしまいました。
言いたかったこと? 救急隊員への感謝! これです。
それから、彼等の偉大さ!です。
なのに、余計なことをいっぱい書いてしまいました。
お許しください。

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