「腎死」という言葉があります。
♥いつもと異なった視点で、腎臓医の診療スタイルを説明してみたいと思いますが、そのために、まずは、「腎死」という言葉を取り上げます。
「特発性間質性肺炎」という”肺の難病”があります。原因不明の難病で、簡単に言うと、肺が固くなり、体に酸素を供給できなくなる病気です。病気の進行を抑えるために、ステロイドを中心とした抗炎症・免疫抑制療法が行われます。さもなければ、肺が機能を失い生命が奪われてしまいます。
腎臓病のなかにも、ステロイドを中心とした抗炎症・免疫抑制療法が行われる病気に「急速進行性糸球体腎炎」という難病があります。様々な原因がありますが、簡単に言うと、腎臓の糸球体に強い炎症を生じ、腎機能がみるみる低下する病気です。
両者ともに、病勢が強い場合、週から月の単位で刻々と病状が進行するので、早期に診断し、副作用を覚悟して抗炎症・免疫抑制療法をただちに開始することになります。
♠急速進行性糸球体腎炎は、腎臓専門医が、もっとも熱を入れて治療する疾病と言っても過言ではありません。
この病気を見逃すことは、恥ずべきことですし、若い頃はこの病気の主治医に指名されることは、指導医から信頼されているひとつの証と思ったものです。また、治療によって治っていく患者さんを診ることはとても嬉しくてやり甲斐のある仕事です。治せない病気や一生付き合わなければならない腎臓病が多い中で、急速進行性糸球体腎炎は「治せた!」と実感できる数少ない疾病でもあります。
♦治療が功を奏し、病状が沈静化すると良いのですが、残念ながら、病気の進行を止められないこともあります。
その結果迎える結末は、特発性間質性肺炎の場合は、生命の終焉を意味します。肺移植をしない限り。
しかし、急速進行性糸球体腎炎が行きつく先は、少し異なります。完全に腎機能が廃絶しても、透析医療を受けると生命は助かります。
♥呼吸器内科専門医と、ステロイドを中心とした抗炎症・免疫抑制療法について話をしていると、明らかに姿勢が異なることに気づきます。
彼らは、最後の最後まで特発性間質性肺炎を抑え込むのに躍起になっているように見えます。もちろん、副作用には十分注意しながら、抗炎症・免疫抑制療法の継続に腐心しているように私には見えます。
私達腎臓内科医は、しかし、少し姿勢が異なります。
懸念される副作用が生じたら、あるいは、急速進行性糸球体腎炎がとても治りそうにないとなれば、抗炎症・免疫抑制療法に固執せず撤退して、患者さんの生命を守る方針に転換します、つまり、腎機能の廃絶とともに、透析治療で生きていくことを患者さんにお勧めします。有難いことに、患者さんを苦しめた急速進行性糸球体腎炎という病気は、多くの場合、腎臓だけに限局しており他の臓器に炎症が波及することは少ないので、透析生活と引き換えに生命と社会生活は維持されます。
これで、今日のブログタイトル「腎死」という言葉の意味が、お分かりになったかもしれません。
☘「腎は死なせても生命だけは守らねばならない」と腎臓医は考えます。腎臓医特有の考え方です。
それに比べて、呼吸器内科の医師は、酸素が足りなくて人工呼吸器を使わざるを得なくなっても、まだ抗炎症・免疫抑制療法の手を休めないかもしれません。
(彼らの領域に「肺死」という言葉あるのかどうか私は知りません)
ともかく、私達腎臓の領域には、「腎死」という言葉(考え方)と、そういう言葉を使える状況がある。
生命維持と社会復帰が期待できる確実な医療「透析医療」があるからこそなのです。
「腎死」に対する腎臓医のスタンスもいろいろ異なる。
♥「急速進行性糸球体腎炎」を治療する腎臓専門医のなかでも、抗炎症・免疫抑制療法をいつまで続けるか断念するか、その意見は常に議論になります。
一人の患者さんを、グループで治療していても、「まだ続けよう」「もう撤退した方がよいのでは」と意見が分かれることはしばしばです。経験豊富な医師でも、答えは同じではありません。
(意見が分かれることは決して悪いことではありません。いろいろな意見の交換ほど大事なものはありません。それを通して、より冷静な判断が生まれると期待されるからです。)
♠極端な例として、最初から抗炎症・免疫抑制療法をしないという選択肢もあります。
高齢で病気の発見が遅い場合は、見込める治療効果が乏しいにもかかわらず患者さんを重大な感染という危険にさらすことになるので、いずれ透析することを最初から潔く決めて対処するという医療です。
ここまで読んできた人は、なんだか「肩透かし」をくらったように感じるかもしれませんが、苦渋の決断です。
厚労省・腎臓学会などから、どのような治療を選択するべきか、専門医に対してガイドラインを提示していますが、その根底にあるのは、「副作用による死亡」や「合併症死」を回避しなければならないという考え方です。しかし、どのようなガイドラインにも「いつまで行うか」「いつ断念するか」を誰も明示することはできません。
■医師の意見・姿勢に影響するものは、以下のような因子が考えられます。
①ポジティブな治療経験:抗炎症・免疫抑制療法が功を奏して元気になった患者さんを診療した経験が多いほど、より積極的になるかしれません。
②ネガティブな治療経験:その反対に、抗炎症・免疫抑制療法によってひどい感染症で患者さんを苦しませた経験があれば、消極的にならざるを得ないかもしれません。
経験豊かな医師は、①と②がバランスよく、治療することも引くことにもセンスがあります。これこそ、医師の腕の見せ処なのです。
③治療する施設の環境:仲間がたくさんいる病院では、副作用への対応もしっかりできるから積極的であった医師も、小さな施設に勤務すると方針は自ずと異なってくるでしょう。
③疾病の理解:腎臓を専門にしていると謳っていてもこの疾病を治療したことがない医師だったら、治す「喜び」をご存じないでしょう。
④透析医療と腎臓医療のバランス:前のブログにも書きましたが、透析医療のウェイトが大きい腎臓医は、抗炎症・免疫抑制療法に消極的かもしれません。
「透析医療」がなかったら? 「腎死」という考え方も存在しない。
♥世の中に透析医療が存在しなければ、私達腎臓医の急速進行性糸球体腎炎に対する治療姿勢は、まったく異なったものになったことでしょう。
呼吸器内科の医師といっしょに、もっと抗炎症・免疫抑制療法を展開していることでしょう。
上にも述べましたが、急速進行性糸球体腎炎の治療には、細心の注意を払って腎臓医は嬉々として治療に取り組むのですが、もっともっと真剣にならざるを得ないはずです。少なくとも「中途半端な治療継続や撤退」という選択肢はありません。
♠「必要は発明の母」と言いますが、透析医療が先行し発達したために、私達腎臓医は、急速進行性糸球体腎炎の治療に”ある意味で消極的になった”だけでなく、より良い抗炎症・免疫抑制療法を研究・開発する意欲も半減させていないでしょうか。私を含めて腎臓医に自戒の念をこめて書きました。
☘これは、「透析があるから、、、」という安易な気持ちへの警鐘です。
大晦日のブログですので、多少感情的になっているかな。
実は、先日、某健康雑誌の関係者にお会いして、改めて「腎臓を守るために」出来ることを考えさせられたのですが、今の医学のレベルでは、そんな妙案はありません。忸怩たる思いでした。腎臓の養生は、腎臓に負担をかけないようにこつこつと続けることが大事だと確認することしか、私には思い浮かびませんでした。
けれど、私達自身がまだまだやることがたくさんあることや、サボっていることもありそうだと、逆に気づかされる良い機会となりました。
そんな経緯を基に書かせてもらいましたが、この続きは、また、年が明けて書くのでご期待ください。
皆さま、佳い年をお迎えください。